昭和46年08月21日 朝の御理解
御理解 第68節
「神参りをするに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。いかにありがたそうに心経やお祓いをあげても、心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ。柏手も、無理に大きな音をさせるにはおよばぬ。小さい音でも神には聞こえる。拝むにも、大声をしたり節をつけたりせんでも、人にものを言うとおりに拝め。」
三代金光様の御言葉の中に、神信心には辛抱する事が一番大切でございますと教えとられます。四神様も久留米の初代に「なあ,石橋さん、信心辛抱さえしておれば、物事整わぬ事はないぞ」と、これは二代金光様が石橋先生に教えておられる。三代金光様も一番大切なのは、信心で一番大切なのは、辛抱する事だと教えられとります。ですからその信心辛抱というその辛抱の内容というのは、非常に深い広いものだと思います。
確かに御教えの表面に出ておるところ、雨が降るから風が吹くからというて、例えばそう言う事でもです、お参りさせて頂くという、雨が降りよる、風が吹きよるでなくてそこを、雨風をついてお参りをする信心、そこにです、雨風をついてお参りをした喜びがあるです。普通では味わえない辛抱しぬいた喜びというものがある。確かに私は、ここんところが大事だと思う。
こんな雨の降る日にと人は言うても思うても、やはり自分の心の中には、それを辛抱しぬくという心、これを例えれば、どんな問題があっても、やはり辛抱しぬく。あの辛抱出来ない人はですね、それは実にうがった理屈が出来るんですよ。ところがね、神様には通用しません。絶えず辛抱力を作らなきゃいけません。お参りを神参りをする事だけではありません。すべての事に、ここにあるその辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃと、歯をくいしばらなければならない時です。
様々なその辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃと、私は頂かなけれはいけんと思う。腹立つ事もある、体がいう事を聞かぬごとある時もある、けれどもその辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃ。ですから、その辛抱を抜きにして、如何に信心が詳しゅうなっても、信心の非常に詳しい人がありますね。もう本当に信心の生字引のようにいろいろの事を知っている人があります。
先日お手紙を頂いて、北海道の乙犬先生が手紙の中に一切経の中から抜粋していろいろと金光様の御信心、先日合楽におかげを頂いて、親先生がおっしゃったその言葉を一緒に並べて書いてあるのです。親先生のいわれた事が、何百年前仏教の偉いお坊さんのいっていた事を一致いたします。現代の金光教にもそれがいえます。ここんところを頂いていかねばならん、それを要約結論するとね。
とにかく辛抱しぬくと言う事。禅のお坊さんですからね、もう座ること、座ることに一念を燃やさなければ、どんなに禅が詳しくなっても、本当のものではないと言った様な事を書いておられる 金光様の教師もそうです、先生がね、あなたは頭がよいから、それは昨日私は聞きましたけど、それはもう去年の卒業生ですかね、それはもう、先生方がたまがるごと学院きっての秀才だったそうですね。もう書かれるものも話されるものでもそれは成程、あの文面をみてもそうだろうと思います。
見事ですからああいう人達は例えば教務所とか又は、本部あたりからもう手ぐすね引いてああいう人を引っ張りたいわけでしょうね。けど決して、そういう事に、人が助かる事の為にですからね、あなたは教義はその位のことで、私が本気でいわして貰う事を本気で守りなさい。もう御結界に座り込んで人が助かる事だけに一つ、馬鹿になりなさい。あなたの親教会は福岡の教会でしょう。
福岡教会のいうなら信心の中心ともなるものは、馬鹿と阿呆で道を開けという事、と四神様が教えられました事は、福岡の教会にはこの馬鹿と阿呆になる事が一番欠けておると見られたから、四神様は教えられたのに違いありませんよ。だからあなたのように頭の素晴らしい人や利口な人が出来る。だからその頭のよい人が、素晴らしい利口な人がです、本気で馬鹿と阿呆になったら素晴らしい御用が出来る。
私は久留米の場合も、そう思うですね。石橋さん信心辛抱さえしとれば整わぬ事はないと仰った。私は久留米の教会はそれが一番欠けておると思うです。欠けておったからこそ、石橋先生にそれを教えられた、そうですよね。私共が頂くでもそうです。ですから石橋先生はそれを、掛け守りのようにして信心辛抱なさって信心辛抱の徳を受けられた。もう、恐らくは辛抱せんですむ程のおかげを受けられたであろうと私は思います。それが徳なのです。信心辛抱の徳。
だからどれだけお道の信心が詳しくなっても、それがお取次の先生である場合は、もう座ることに喜びを感じられないのであったら、もうそれは取次者の値打ちすらないと私は思うです。あなたのように頭の良い人、あなたのように利口な人、本気でねおたくの信心の掛け守りといわれておる程しの、馬鹿と阿呆になりきって、御結界奉仕に専念しなさいと。結局その偉いお坊さんが書いておる事も、現代の金光教に声を大にして叫ばれとる事も、合楽の先生がいった事も、こういうふうに一致して参りましたと。
やはりここんところに精進する以外にないと思うといった手紙がきた。ここはもう雨が降るから、風が吹くからではない。いわゆる問題は人間関係の場合であろうが、どういう事であろうが、こここそ辛抱しぬかねばならないというところを、辛抱する事によって、信心辛抱の徳が受けられる。私は昨日信心辛抱の徳を感じましたね。昨日菊栄会でした。ですから私、もう、寝とったんですけど、遅うに出て参りまして、そして菊栄会がすんでから皆、私の部屋に挨拶に来ました。
まあ御大祭のよもやま話をさして頂いとるうちに、昨日の私のお説教が聞こえなかったそうです。声がわれたりして、何かどうも変だったそうです。そんな事があるもんか、お金ばっかり沢山かけてから、あの一番大事な時に立派に聞こえんようじゃどうするか、この今日の反省会にはそれを取り上げて、例えば善導寺の簡単なあれさえも、あんなによく聞こえるじゃないか。家のは金ばかりかけてかえって家には機械に弱い人間ばっかりじゃけん、かえって安かとの方がよくないかと、私がこう申しましたのです。
高橋さんがね、金の高い安いじゃありません。もうそれこそカチッとくるようないつも高橋さんは、時々それがあるのですよ。これはもう誰が場合でも、私だけじゃない、親先生がもう、きたなか事ばっかり言うてから、まあ、安かと買おうと思うてあげな事言うとの、内容があったらろと思う。私の心の中にカチッときたのです。ところが横に文雄さんが居りましてね、それがですね、それがですねの素晴らしい事がこの人の場合はもう、確かに信心辛抱の徳だと思いましたね。
信心辛抱と言うか、信心辛抱は余り出来んばってん腹を立てんと言う事ですよ。この人が長年取り組んでおる事、もう腹は絶対立てんというのが、段々、段々始めの内はもう歯をくいしぼって辛抱する事もあったろと思うです。それがですね、この頃は辛抱せんですむごとなっとるです。それがですねというのが、私の心も恐らく、高橋さんの心も一ぺんに和んでしまう程の表現、何もないもう穏やかな。私ははあこれが信心辛抱の徳だなと昨日ほんとに思った。
お互いに本当に信心辛抱、もうそこに焦点を置いてよかです。信心辛抱の徳です、もう居る者をして、皆をやわらいだ心にしてしまう。私はいつも感心しとるのだけど、もう昨日だけは特別そう思いました。たったそれだけの事ですかね、本当にそれに取り組んでおる者には勝たんです。私共広い意味合いで、信心辛抱の事を取り組んでおります。ところがその中に文雄さんはね、他に修行は出来ませんから、腹を立てると言う事だけはもう金輪際、絶対腹は立てんぞときめとる。
これもしかも長年稽古しとりますけん、最近はもう腹を立てんですむおかげを頂いとる。それが徳なのです。もう私は昨日本当に驚きました。 信心辛抱の徳とはこれだろうと思った。ならそういう事がです、すべての事の上に私は頂かして頂けれる。それこそ節をつけたり、声を大きくしたりする事はいらんともう神様に通うという事はね、人間の心の中にも通うという事。
そこでお互い様々な修行させて頂いて、いわゆる辛抱力をつくるわけです。日頃の辛抱力を作らせて頂く事に本気にならせて頂いて、辛抱力を作るというても只、その事だけに、例えば断食なんかするのも、ひもじい、腹がへる、けれどもその辛抱する、辛抱力を作るというても、それが我力になる辛抱がありますね。断食やると人がたまがるごと修行が出来るばってん、他の事には全然辛抱が出来んという人が居ります。だからこれはもう我力を強めておるようなものです。
昨日も私聞かせて頂いたが、あの佐藤さんなんか、いろいろ修行させて頂いて、中に一日で八十キロから歩いたと。御霊地についた時には動けなかったと、あの佐藤先生の彰徳碑がございますね。あそこまで帰る時には体がもう動かなかった。あの彰徳碑は佐藤さんからすれば、ひいおじいさんの彰徳碑になりますから、あの前でそれこそ倒れるように、御祈念させて頂いた。あれは彰徳碑だけれど、あの彰徳碑は力がありますねというて、そしたら、どこからか湧いてくる力で。
又一のぼり学院までのぼったというておりましたがね。やはり信心の何と申しますか、本気で人が助かる事の為にをは、焦点に修行に入り、又は学院に入った程の人達ですから何かなしにいろんな修行させて頂いとる。ですからそういう修行もいけないとは思わない。有難いけれども、我力の辛抱力を作る為のね、ものであってはならない。そこでこうやって一生懸命歩く事の出来た所に辛抱しよるが、断食をしてもそうです。
こういう辛抱しよるが、どういう雨風が吹いても、どういう時でも、それに耐えられる事の為の修行をさせて頂いとるんだという。私は焦点をおいての表行でなからなければ、辛抱力でなくても我力どんばっかり強うなるというのがあります。昔の人達特に先生達のですね、非常に表行の出来た方がありますよ。それはもう飛ぶ鳥落とすような、その表行によって霊徳を受けて助かった人がありますけど、先生方の御伝記やらお話を聞きますとですね、我力非常に強いです。
わしがとよく言われる、必ずわしが言う事にと言う様な信心をなさっておられますね。あれはもう我力です。そういう例えば人の真似の出来んような辛抱力を作ったけれども、それは変質してしまって我力になっしまった。これは普通の方達の場合だってそうでしょうが、若い時に非常に難儀苦労して、子供達を育てた。それが七十になって、八十になって安楽になった。
それで子供達や嫁御達に、私どんが若か時にはこうじゃったというてからいうわけです。成程それは、血の出るようなところを辛抱してきなさったけれども、それが段々、段々頑固なものになってきて、我力になってきとる。そして辛抱が出来ぬ若い者を見ると、私どんが若い時にはとこういうわけです。だからここらへんは大変用心せねばいけんところです。辛抱力を作るというても。
結局私共が御結界奉仕させて頂いて、始めの間は辛うて辛うてよく泣きましたと三代金光様の有名なお言葉ですよね。けれどもそれが有難うて有難うてというところまでになっていく辛抱力でなければいけないと言う事。そういう辛抱力をいよいよ作らせ頂いて、その辛抱こそ身に徳を受けられる程しの辛抱力でなければならん我力じゃいけん。身に徳を受けられる程しの、辛抱の徳を受けさせて貰う。
そこに一心発起させて貰わなければ出来る事じゃない。私は昨日文雄さんの一言を聞いて、これこそ腹を立てんぞと、きめてもう十何年間でしょう。それがもう腹を立てんですむ程しの、これはもうこの人の場合は徳になっとるばいと思う程しに、夕べは感じました。ですからそれをやはり、一事でも貫かせて頂いて、いわゆる有難うて有難うてという答えの出てくる意味合いに於いての辛抱力を作って行かねばならないと思うですね。
どうぞ。